もうすぐ運動会です。
規模を縮小し、できることをできる範囲でやるという運動会です。
練習も最小限。
見せるというより、子供たちが楽しむ方に軸足を置いている感じになっています。
私は正直ほっとしています。
かつて、
「入場行進がよくない」
といって、入場行進を何回も練習したことがあります。
全体練習が終わってから、学年ごとに更新して退場するときも、練習させられました。
私は、こういうときに
「この練習は誰のためなのか」
と考えてしまいます。
少なくとも子供たちのための練習ではないように感じました。
そうなると、周りの先生方が半ば怒声のようになって指導していることが馬鹿らしくなってしまいました。
「統一歩調」
のとれない教師になっていました。
そううことがなくなって、子供たちものびのびと練習しています。
私は基本的に怒ることがないので、できないことがあれば
「では、練習しましょう」
とのんびりとやっています。
運動会も、
「子供たちのため」
と決めれば、楽しいことだけやっている感じになります。
子供たちが練習を嫌がりません。
「今日はこういう練習をします」
と練習のはじめに説明をして、今日の練習の課題を提示します。
子供たちは納得して、練習に参加してくれます。
結局その方が練習も捗り、子供たちも笑顔で練習を終えることができます。
近場の学校の運動会は、接触をさけたので、個人的に走ることだけの運動会になったようです。
それもつまらない。
いろいろな制約がある中で、どのような種目が可能なのか、どこまでやってもいいのかを考えるのが面白い。
可能性を閉ざしたら、何も生まれません。
こういうときこそ、知恵の見せ所です。