3月末まで勤めると、勤続40年です。
「勤続40年のリフレッシュ休暇が5日もらえるよ」
と言われました。
思えば、よくぞここまで勤められたものだと我ながら感心します。
私は、教師になりたくて教師になったわけではありません。
とりあえずの感じで仕事を始めました。
40年も続いたのですから、自分には天職だったのかもしれません。
内田樹さんが
「天職とは、仕事に呼ばれるものだ」
と書いていらっしゃいますが、まさに私の場合は天職だったのでしょう。
今まで、仕事を大きく断ったこともありません。呼ばれるままに仕事をしてきました。
「希望はしないけど、頼まれればやりますよ」
という何ともある種“傲慢な”態度で仕事をこなしてきました。
教育の理想に燃えたこともありました。
時間を忘れて仲間と語り合ったこともあります。
『学び合い』に出会って以来、徹底的に『学び合い』の人間になりました。
「子供は有能である。教師は最善の教え手ではない。教師の仕事は、①目標の設定②環境の整備③評価である。」
という『学び合い』の考え方が骨身にまでしみこんでいます。
クラスの理想像を子供たちに語ることもありません。どういうクラスしたいのか、最終的には子供たちが決めることです。多くの教師はクラスの理想像を持っています。その理想像を語り、子供たちを何とかそこに連れて行きたいと願っています。
私はいつから理想のクラスを子供たちに語ることを辞めました。
「どういうクラスにしたいのか、それは最終的には君たちが決めることです」
と語ります。
理想像を押しつけられるのではなく、自分たちで作っていくものだと語るのです。
やってみると、とても面白い展開です。
最近
「あと何年?」
と聞かれます。
現状のようなフルタイムで働くのは、長くてもあと2年でしょう。
その後は、時間給の仕事をするか、他の職種に転職するかですが、現在のように働くことはもうしません。
もう十分に働きました。
教師になりたくて、教師になったわけではないけど、私には天職でした。
存分に働き、十分に満足しています。