私は、あるとき『学び合い』に完全に移行しました。
「『学び合い』は考え方だ」
という言葉を繰り返し聞き、繰り返し言ってきましたが、この言葉が落ちたのはずっと後のことでした。
勤務地は「学びの共同体」の実践を進めようとしています。
私はこの方針に異論はありません。
進めようとして、何人もの方が講演に来て、授業を参観し、指導していきます。
グループは四人がいい、ペア学習が基本、聴き合う関係をつくろうなどと指導していきます。
それでも、教室の風景は変わりません。
教師が一斉指導を捨てられない限り、「学びの共同体」のいう学び合いですら、進みません。
「結局、教示か教えるしかないんだよ」
という教師の本音が変わらない限り、変わらないのです。
『学び合い』の始まりの段階で
「『学び合い』は考え方だ」
と指摘した慧眼に今更ながら感服します。
私がなぜ一斉指導を捨てられたのか、これは自分でも謎です。
もともと「教える」という教師の仕事が得意ではなかったのかもしれません。
「結局、自分でやらなくちゃだめなんだよ」
という自分の本音がどこかにあったのかもしれません。
ばりばりの一斉指導大好き教師からクラスを受け継いで3ヶ月が過ぎようとしています。
最近はあまり授業をしなくなりました。
あとは、子供たちに任せて、子供たちは好き勝手にやっています。
私は、評価に特化しています。
「○○さん、これができていませんよ」
と目標を設定し、評価する仕事に重点を置いています。
休み時間に、数名が自分の課題や自分がやりたいことをタブレットを使って学習しています。休み時間なのに静かに過ごしています。
元気の良い子供たちは、外で元気に遊んできます。
私は、その様子をのんびりと見ています。