クラスの中で、どのようなことでも、クラスに合意があるのかどうかを考えます。
私は、自分の些細な提案でも、子供たちが合意してくれたのかどうか、をとても気にしています。数名が同意したとしても、クラスの多数派が同意しなければ、合意には至りません。
どのクラスにも、合意の中心にいる子供たちがいます。多くは、グループを緩く作っています。あまりにも、強い結束をしたグループだと、排除の力も同時に働いていて、クラスの中心にいることはできません。開かれたグループとでも言う形をしていることが多いです。
私は、その中心に居る子供たちを見ています。グループの形をしていないこともあります。グループを作っていることに無自覚な子供たちです。高学年なら、男女混合のグループを作っていることもあります。
このグループの子供たちが合意しなければ、間違いなくクラスは動きません。教師の思いだけが空回りします。そんな経験を嫌と言うほどしてきました。
「みんなができることが大切だ」
と教師が強く訴えても、この子供たちが合意しなければ、結局は進みません。
どうやって、この中心にいる子供たちが合意するのか、合意をクラスのみんなに見せるのか、大切になってきます。
クラスの中に、様々な合意ができてくると、教師はほとんど何もしなくなります。私はほとんど教えることをしなくなります。
自分たちで進める方が楽しいし、着実だからです。
教師による一斉指導は、無駄が多く、時間がかかります。
2学期の始まりに、授業研究会があります。
指導は、「学びの共同体」の指導者です。
私は、本格的な『学び合い』の授業をする予定でいます。
今のところ、社会科で、単元の丸投げ1時間目を公開しようかと思っています。