理想の授業

私は、理想の授業というものを持たなくなっています。

あらかじめ

「これが私の理想の授業だ」

と言えるものが私にはありません。

授業をごく普通に始めると、だんだん授業の形ができてくるものだと思っています。

授業は、子供たちと教師とのやりとりの中で生まれてくるものです。

教師が

「こういう授業をしたい」

とどのように願っても、子供たちが同意しない限り、その授業は実現しません。

私は、子供たちに

「どういう授業がいいか」

ということをよく聞きます。

「たまには、ちゃんと授業してください」

と言われることもあります。

逆に

「授業はしなくてもいいです。タブレットを貸してください」

と言われることもあります。

私は

「どういう形でも、結果を出してください。ちゃんとわからないとだめですよ」

と言っておきます。本当に言っておくだけです。

よくしゃべるクラスなら、よくしゃべるなりに。

発言が少ないクラスなら、少ないなりに。

授業の形を考えます。

「よくしゃべる子供が多いから、静かにさせないと」

とか

「発言が少ないから、もっと発言するような授業をしよう」

とか考えなくなりました。

それを長所として考える。

よくしゃべるクラスの特性を生かす方向で授業を組み立てる。

発言の少ないクラスなら、少ないなりの授業を考える。

 

「次の社会科の授業はどんな形で授業するのですか」

と質問されたので

「最初に時間に聞いてみようと思う。」

と答えました。