変化の兆し

前々回取り上げた本。

 

石戸奈々子著:賢い子はスマホで何をしているのか

日経プレミアシリーズ

 

 

1学期早々からタブレット端末が自由に使えるようになりました。

私があまり得意でないので、スマホ機能程度の使い方です。

難しい操作はしていません。

ただ、私は保管庫に鍵をかけていないので、自由に子供たちが使っています。

休み時間でも

「使います」

と私に言えば、使えます。

タブレットを使うようになって、

「これは授業が変わる一歩になるかも」

と感じていました。

この本が描いているような教室の姿がすでに出現しています。

 

 

子供たちを見ていると、私が授業をするのをあまり好んでいないが分かります。

つまらなそうな顔をします。

「後は、自分たちで進めてください」

の方がずっと楽しそうです。

「楽しい事は続く」

「楽しい事しか続かない」

と思っているので、楽しそうな子供たちを見ていると、嬉しくなります。

「楽しいけれど、効果はあるのか」

という問いがありますが、一斉授業をしていて、ノートをとっていて、さも学習しているように見えても、どれほどの効果があったのでしょうか。

一斉授業では十分に理解できない「落ちこぼれ」と言われる子供たちの問題。

逆に、一斉授業なんかつまらないと感じている「ふきこぼし」と言われる子供たちの問題。

いずれも、何十年も課題であったわけです。多くの教師が、どうやればみんなが理解できるようになるのかを考えてきました。今も考えています。

ただ、そもそもの一斉授業に無理があるのではないか、と思っていても、どうするのかの方法が分からなかったし、環境もありませんでした。

それが、タブレット端末の配付によって解決してしまった。

あとは、使い方の問題となった。

子供たちが学ぶ姿を見ていると、教師の役割は劇的に変化すると感じています。

そのときに、教師は何をするのか。

「教えることが教師の仕事」

と考えている教師は、その場で失業することになるでしょう。

『学び合い』の同志は、ようやくそのときが来たことに気づくでしょう。

もう気づいているはずです。

タブレット端末という文明の利器が、『学び合い』を促進することになります。

新しい教室の形が、始まっている。

そんな気がしています。