第一稿

卒業アルバムに載せる贈る言葉の第一稿を書きました。このまま載せるかどうか分かりませんが、とりあえず。

 

 

ご卒業おめでとうごさいます。
退職の1年に、皆さんと出会えて本当に良かったと思っています。素晴らしい、忘れがたい1年になりました。
保護者の皆様にも合わせて感謝申し上げます。素晴らしい子供たちです。これからを楽しみにしています。

 私は、今年で定年退職です。これからもしばらくは再任用を受けて、働くつもりですのですが、一応の区切りと考えています。
 私が教師になった頃、教師になるのは倍率が高くとても狭い門でした。運良く採用試験を通り、教師になりました。
 若い頃は、
「できるようにするのが教師の仕事」
と思い、強制してでもできるようにすることが大切であると思っていました。逆に言えば、できるようにできないのなら、教師として失格であるとも思っていました。
 今思えば、相当な無理をしていました。今よりも時間がずっと自由になり、放課後もありました。子供たちは、授業が終わった後で、下校時刻まで学校で遊んで帰っていました。「これができなければ帰さない」
と言って、強い指導をしたこともあります。
 今思えば、思い上がった傲慢な教師です。恥ずかしい限りです。
 当時、「教育技術の法則化運動」が流行し、私もその流れに乗って指導法の開発に明け暮れました。
「こうすれば、誰でもできるようになる」
という方法の開発に夢中になっていました。
 同じ志を持つ仲間もできて、楽しく指導法の開発をしていました。
 そんな中で、ある本を紹介されました。
 野田俊作・萩 昌子著「クラスはよみがえる」創元社
 アドラー心理学によって子供たちの意欲をどのように高めていくかという指摘でした。 今までの教材開発の意義を変更させる力を持っていました。私は、指導法の開発と同時に、この考え方に寄り添う形で学級を作っていくことにしました。
 ここで、教師としてのあり方が大きく変わりました。30代半ばでした。
 それからしばらくは、アドラー心理学が面白くて、いろいろな本を読みました。なるほどと思うことはたくさんありましたし、今も思っていることがたくさんあります。
 私は異動で研究指定校に勤務することになりました。当時、話題になっていた少人数指導を始めていました。3年生の担任でしたが、算数の時間になると、クラスの半数が出て行く姿を見ていて
「これは効果のある方法だろうか」
と感じていました。
 そんなとき、上越教育大学大学教授西川純先生のご講演を拝聴する機会を得ます。これも私が望んだことではなく、出張命令でした。
 この講演を聴いて『学び合い』という考え方で出会います。ずっと算数の少人数に対して疑問を持っていましたので、その疑問に答えが出るような予感がしました。ただの勘です。
「教師は最善の教え手ではない」
「教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備である」
などなど、今まで自分がやってきたことをことごとく否定するような言葉が並んでいました。できるようにすることを教師の仕事としてきた自分が、どうして『学び合い』に惹かれたのか、今もって謎です。
 私は方向を変えました。「教えてできるようにするのが教師の仕事だ」と思っていた私が「教師は最善の教え手ではない」「子供たちに任せるべきだ」となったわけです。
 一番仲の良い、私の理解者でもある先生は
「○○先生は狂った」
と思ったそうです。
 40歳を過ぎて、今まで自分が積み上げてきたものを、一度脇に置くことをしました。
 研修する機会を得て、上越教育大学大学院に入学し、西川研究室に所属し、2年間大学院で『学び合い』の研究をしました。刺激的な2年間でした。
 以来、私はずっと『学び合い』を実践してきました。
 実は、今年も私の根底には『学び合い』が生き続けています。6年生に対しても『学び合い』を実践してきました。
 振り返って、私は教師としての生き方をかなり変更してきました。それは、「最善の教育とは何か」を追い求めた結果だと思います。今でも『学び合い』を超えるものが出れば、全く躊躇することなく、そちらに移動すると思っています。残念ながら、それは出ていませんし、私も開発できずにいます。
 これから、皆さんにもたくさんの出会いがあるでしょう。人との出会い、環境との出会い、本との出会いなど、毎日が新しい出会いの連続になるはずです。
 その出会いから、どれを選び、どのように生かしていくのか、それは自分で決めるしかありません。また逆にどの出会いを捨てるのか、それも自分で決めるのです。
 近くの人に相談することもできます。そのときにも、誰に相談するのか、相談しないとすれば誰なのか、それも自分で決めるのです。
 仲間を作ること、相談できる環境を作ること、新しい出会いが次々にやってくる環境を整えることなど、自分の人生を豊かにするために、日々の積み重ねがあります。
 皆さんの人生に、素晴らしいであるが待っていることを祈念いたします。