私の勤務する町は、町をあげて「学び合い」を推進しようとしています。
素晴らしい試みだと思います。
この「学び合い」は、基本的に「学びの共同体」の考え方による「学び合い」です。
それでも、従来の一斉授業からすると、そうとう進んで行く必要があります。
新年度になり、「学び合い」を推進しようとしているのに、相変わらず一斉授業を前提とした話し合いになっていて、
「学び合いを推進するのは、難しい事なんだなあ」
と改めて感じています。
「○○小スタイルを作る」と言われると、やはり一斉授業になってしまいます。
『学び合い』は考え方です。授業観、子供観、指導観などを変えなければ、『学び合い』はできません。
この考え方が分かるまで、私もずいぶんと時間がかかりました。
考え方なので、見えないし、授業の定型もありません。『学び合い』の実践者の樹儀容を見ると、みんな違う授業をしています。
でも、『学び合い』の授業です。
職員会議の話し合いが、その「○○観」まで行くのか、私は注目しています。
それにしても、多くの教師は本当に教えるのが好きです。
「いつ教えるのか」「どのように教えるのか」「教えてできるようにしたい」
とどの場面でも教えることが好きです。それこそ
「すきあらば教えたい」
といつも構えています。
『学び合い』を始めた頃、故佐藤準一先生と
「この時間は胃が痛くなる」
と笑い合っていました。
教えることを自制するのが本当に辛い時間でした。
私は、時々、
「自分は教えるのがあまり好きではないのではないか」
と思ってしまいます。
黙って見ている時間がとても多くなりました。
「教えればできる」
と思ってしまう性もわかりますが、教えなくてもできるようになるというは、事実です。
同僚のやっていることが、全く「学び合い」になっていないことが残念でなりません。