個別最適化

何回も書いている事ですが、私は骨の髄まで『学び合い』の人間です。

タブレットの登場によって、自分は『学び合い』をやっているつもりで、すでに「個別最適化」へ移動しているような気がしています。

もう、一斉授業はほとんどありません。

個別に、タブレットなどを見ている時間がかなり長くなりました。

タブレットを子供たちが見ていますが、それぞれ別の画面を見ています。動画を見て、動画を止めたり戻したりして、学習しています。動画が好きな子供もいれば、誰かしらの授業を見ている子供がいます。

例えば、国語「やまなし」の朗読を聞くとします。

今までは、教師が持っている朗読のCDを聞く以外の方法はありませんでした。

今は、自分で好きな朗読を選ぶことができます。好きな声優さんが読んでいたりすると、それだけで楽しくなるようです。だいぶ前ですが、ルパン3世の峰不二子の声をやっていた増山江威子さんの朗読が入っていたことがあります。私は、その声を聞くだけで何だか楽しくなったことがあります。ほかにも、ばいきんまんの声が聞こえてきたら、子供たちが笑い出した事もあります。

「やまなし」以外の宮澤賢治の作品も自由に聞くことができます。もちろん読むこともできます。「やまなし」をどうしても学ばなければならないということはないはずです。

教師が選ぶ余地なしで聞かせるよりも、ずっと楽しくなること間違いありません。

『学び合い』が根底ですから、授業中にかなりの自由があります。

その上、自分で選ぶことができる。

好きなことは続きます。

楽しいとか好きとかいうことを侮ってはいけません。

楽しいこと好きなことは、誰が言わなくても取り組めます。

 

 

今日、校内研修があり、指導者の指導を受けました。

私の授業は、ぶっ飛んでいるので、多くの指導者には理解できません。

中には、はじめから指導を諦めている方もいらっしゃいます。

今日の指導者は、

「これからこういう授業に変わっていかなければならない」

と言っていました。

驚きました。私の授業について、このように考える。こういう方がいらっしゃるのです。

「群馬のA先生をご存じですか」

と言われて、また驚きました。

まだまだ、みんなが同じ課題で、同じ学習方法で、同じ結論に至るという授業から抜け出せない教師が多いと思います。この枠組みの中にいる限り、新しい授業を構築していくことはできません。教育委員会の指導主事では、まず無理です。

私は、定年退職という期限切れになります。まだ働きますが、来年度からは1年契約という「再雇用」の立場です。今と同じように働くことはありません。

 

 

学習の目標は共有する。

めあては一人一人違う。学習方法も違う。評価の観点も変わってくるのかもしれない。

話すことが得意な子供は、話すことを評価する。

書くことが得意な子供は、書くことを評価する。

タブレットの登場によって、学校は大きく変化していきます。今までは、変わらなくても良かったけど、今回は違います。今回は、本気で変わっていくと思います。しかも、相当なスピードです。

私は時間切れだし、もう変わってしまっているので、ほとんど問題はありません。

これから、同僚の方々はどうするのでしょうか。