私は、酒井式描画法が好きです。
埼玉県の図工の世界で、蛇蝎の如く嫌われています。
資料に
「○○描画法では○○は育たない」
とほぼ名指しで批判されていました。
『学び合い』も「法則化」から「亡国の教育」と批判されたことがありました。
「亡国の教育」というネーミングはなかなかいいですね。
そこまで、批判するのだから、酒井式と同じくらい具体的な提案があるのだろうと思っていたら、具体的な指導法の研修を受けました。
なかなかいいものでした。
さて、ここで根本的な矛盾を感じました。
ここまで、具体的な指導法の提案があるなら、これはこれで
「○○描画法」
ということにならないのでしょうか。と思ったのです。
2枚の絵の描き方の指導を受けました。
その通りに描けば、実際に絵が描けます。手順も構図もしっかりしています。
これこそ、「○○描画法」ではありませんか。
しかし、私は具体的な場面になるほど、「酒井式描画法」との違いを感じずにはいられませんでした。
これは、決定的な違いとも言えます。
酒井臣吾先生の直接のご指導を長く見てきた経験もあるので、同じように扱うのは無理があります。
酒井先生には、哲学があります。
子供一人一人を大切にするという哲学があります。
私は、酒井先生からとても多くのことを学びました。
たくさんの言葉が心に残っています。
「低学年の子供は、見て描くのではありません。触って描くのです。」
この言葉を聞いたとき、震えました。
こんな素敵な言葉を聞くことはないでしょう。
これが大きな差であると感じています。
酒井先生もご高齢になられて、しばらくお会いする機会がありません。
コロナが収まって、自由にお会いする機会ができる日を待っています。
一斉指導だと思われている酒井式描画法は、実は『学び合い』と大変に相性の良い指導法です。
私は、今年、図工の賞取りに背を向けて、せっせと酒井式描画法の指導をしています。