大きな物語

『学び合い』から、西川先生の言う「一生の幸せを考える」ためには、大きな物語が他大切であると感じます。

子供たちが生きていく将来の世界はどうなるのか、その世界で幸せに生きるには、どうしたらいいかと考えます。

私は、水野和夫氏が言う「資本主義の終焉」という指摘がとても大切であると思います。同時に、斎藤幸平氏が言う「人新世」も新しい世界への物語として大切であると思います。AIの発達による変化よりも、「資本主義の終焉」が先に来るように思います。もしかしたら、私が生きているうちに、いや、もう始まっているのかもしれません。

文藝春秋の近刊で、元日本マイクロソフト社の社長の提言が載っていました。日本の経営者としてトップにいた一人のはずです。正直、がっかりしました。まだ、経済をどのように発達させるのかを考えている。「まだ、こういうところに行って商売をすれば、利益が上がる」という発想で考えている。実際に、そうかもしれない。しかし、「こういうところ」はいずれなくなる。世界の果てまで行ったところで、もう先はない。

現実には、もう先がないから、「仮想通貨」「仮想世界」というようなものを作っている。それとて、もう先はない。大きな経済成長する場所はもうない。

だから、「定常経済」となるしかない。必要な物を必要なだけ作って、売る。買う。地の果てから物を運ぶ必要もない。自分のところで調達できるものだけを買う。使う。

落語の「花見酒」に近い。

大きな物語から、自分たちと自分たちの子供たちが生きていく世界を考えていると、相変わらず「学力向上」を掲げていることが馬鹿らしくなってきます。

「学力向上の目的は何ですか」と問いたくなります。

その「学力向上」で子供たちは、幸せに暮らせるのですかと問いたい。

(私は、「学力向上」を否定しているわけではありません。学校にいて、教師である限り、子供たちの学力向上を願い、努力するのは当たり前です。例えば、算数ができるようになって欲しいと思い、様々な指導をして、できるようにすることは当たり前です。しかしながら、校内研修として、相も変わらず「学力向上」と言われると、その目的にたいして、懐疑的になってしまうのです。)

藻谷浩介氏の言う「里山資本主義」も、行き過ぎたグローバル経済に警鐘を鳴らす指摘でした。

そして、現実的には、コロナ禍で、グローバル経済の弱さも露呈してしまった。

私は、斉藤氏のいう「コモンの再生」に『学び合い』が有効なのかを考えています。当然、子供のころから、みんなで取り組み、みんなで成し遂げていくという体験がコモンの再生に大きな力になると思っています。西川先生の言う「妄想」の世界、地元でみんなで暮らしていくという世界では、当然のことながら、「コモンの再生」が進んでいるはずです。

『学び合い』の授業に移行することは、もう待ったなしの状態だと思います。

子供たち同士の関わり合いの時間を確保して、どんどんやらせていくしかありません。

その経験が、いずれ「コモンの再生」という大輪を咲かせて、一生の幸せを作っていくことと思います。