「学ぶ」ということ

3ヶ月も更新をしていませんでした。

自分でも驚きました。

 

内田樹氏のブログを読んで久しぶりに書く気になりました。

いま私たちが学ぶべきこと - 内田樹の研究室 (tatsuru.com)

 

そこには、

【人間が知的に成長するというのは「別人になること」だ】

と書かれています。知識の不足を補充する事ではなく、別の自分に変わっていくのが「学び」だと指摘しています。

そもそもの「学び」が何であるか、根源的な問いです。

私は、こういうそもそもの問いが好きです。

とりあえず、最初に戻って、そもそもそれはどういうことなのかから考え直しましょうと考えます。面倒くさいといえば、面倒くさいです。

 

私は、振り返れば、ほんの一時期、「教育技術の法則化運動」にどっぷりとはまっていたことがあります。今もその時に学んだ技術を使っているので、それが無駄だったとは思いません。

「子供たちを指導しないで、何の教師か」

「できるようにするのが教師の仕事」

と思っていました。

それが『学び合い』と出会ってから、(当時は、まだ『学び合い』という表記すらありませんでした)

「教師は最善の教え手ではない」

「子供たちに任せた方がいい」

と言うようになりました。私の近くにいた友人は

「狂ったと思った」

と言っていました。それで、袂を分かった友人もいます。

自分でも、なぜ「法則化運動から離れたのか」がよく分かりません。

でも、自分が全く変わってしまった。

振り返ると、その時期に、自分の中で一生に一度だけというくらいの強烈な学びが起こっていたのだと思います。

内田樹氏の指摘で、自分を振り返りました。

 

 

1学期がもうすぐ終わります。

教師生活の最後の研究授業も終わりました。

62歳になり、体のあちこちに不具合も見つかりはじめました。

教師としての生活をいつ終わりにしようかとも思い始めました。

いろいろと考えることがありました。

最後の最後まで、学級担任として過ごせたことをとても光栄であり、幸運であると思っています。