別の目的でYouTubeを見ていたら、
「教師を辞めた理由」
という動画がたくさんアップされていることを知りました。
いくつかを見ました。
人それぞれの理由があり、それを批判するつもりは全くありません。
教師として生きるだけが人生であるはずもなく、新しい道に進まれて、さらに幸せな人生を送られることを祈るばかりです。
振り返って、
「では、なぜ私は定年まで教師を辞めなかったのか」
と考えてみました。
近くで私を見てきた妻は、一度だけ
「辞めてしまうかもしれない」
と思った事があるようです。追い詰められているように見えたのでしょう。
また職場で私からすると、
「干された」
状態に置かれたこともあります。
このときは「辞める」とは全く思いませんでした。
西川先生の「教師の職能の変化」の話を伺ったときに、私は自分がその通りにやってきことを振り返って驚きました。
自分の職能を意識せずに変化させてきたのです。
30代半ばまで、教材研究と指導法の開発に夢中になっていました。
その限界に気づき、子供の側から考えるという『学び合い』に移りました。
以来、20年近くにわたって『学び合い』と付き合っています。
定年までついに『学び合い』を超える考え方とは出会いませんでした。40代で『学び合い』に出会って、運が良かったと思っています。
これだけでは自分が定年まで勤められたことを説明できるわけではありません。
もう一つは、職場の先輩方に恵まれたことです。
新任での職場は若い人が多くて、先輩と言うより仲間でした。定年間近の大先輩もいて、たくさんの話をしました。
今ほど職場が窮屈なことはなくて、自由でした。好きなことを好きなようにやってもいいという雰囲気もありました。
まだいろいろな理由が考えられます。
でも、一番は私がそもそも教師志望ではなかったという点にあると思っています。
辞める決意をされた方は、それぞれの事情があるでしょうが、やはり教師になりたいと思って、教師になられたのだと感じました。
私は、そもそも教師になろうと強く思っていたわけではありません。
浪人するのが嫌で、関心のあった教育の勉強をしたくて教育学部に入学しました。
だから大学では勉強ばかりしていました。
大学を卒業するときに、勉強に飽きたので、とりあえず教師になって働こうと考えて、採用試験を受けました。幸いにも採用されました。
教師になっても、長く教師を勤めようとは思っていませんでした。
どこかで辞めようと思っていました。
でも、勤めているうちに何だか面白くなってきて、いろいろなことを始めていました。
私には、小学校の教師は実は天職だったと思っています。天職のことを英語でcallingと言うらしいですが、まさに扉を開けて見なければわからなかったのだと思います。
私が辞めなかった大きな理由の一つは、そもそもの始まりだったと思います。
次の理由です。
小学校の教師は、自由です。私は自由だと思っています。他の職業は知りませんが、自由があります。
何を教えるかは決まっています。教科書がありますから、教科書にあることを授業しないとすぐに管理職から指導されますし、保護者からクレームをいただきます。
でも、教科書にあることをどのように教えるのかは、全く自由です。どのように教えるのかで、教師の実力を問うこともできるとも言えます。教科書を読むだけでも授業ができますが、全く読まなくてもできます。教材を差し替えることもできますし、子供たちの実態に合わせて、内容を変更することもできます。
私は、この自由があったから、辞めなかったと思います。この自由を手放す気にならなかった。管理職が自由であるようには見えませんでした。
私は、徹底的に自由が好きです。だから、西川研究室はとても居心地が良かった。猛烈な研究室だけど、徹底的に自由です。結果さえ出せば、何をやっていてもいいのですから。
この自由であることも、私が教師を辞めなかった理由の一つだと思います。
辞められた方の理由に
「多忙」
をあげられていました。
確かに多忙です。でも、大部分が一年間という期間で考えると、前年の踏襲です。
だから、私はやり方だと思っています。
昨年度、私は6年の担任をしていましたが、一年間を通して、ほぼ5時には学校を出ていました。6時には帰宅して家族と夕食を食べていました。自転車が趣味なので、15kmの通勤を自転車で通うこともよくありました。往復30kmを走っていました。
「何をするのか」と「同時に何をしないのか」は自分で決めればいいのです。誰が何をしていようと自分で「やらない」と決めるのは、自分の裁量ですから。
結局、みんながやっていることを自分だけがやらないという縛りがあるのです。
そんなことは、突き抜けても大丈夫です。逆にみんながやらないことをやってみると面白いです。
これを批判的に言う人もいます。同時に、肯定的に言う方もいます。私には、不思議に肯定的に言う方が集まってきて、そのメンバーがまた面白いというご褒美もありました。
幸いにして、健康に定年まで勤められたことを、今まで出会った同僚、管理職に感謝したいと思っています。同時に、今教師の道を歩き始めた若き同僚達が素晴らしい教師として人生を歩まれることを祈りたいと思います。