声の大きさ

私は、家でも学校でも大きな声を出しません。

同居している家族から

「大きい声を出しているところをしばらく見ていない」

と言われました。

「学校でもこんなだよ」

と言うと、信じられないという顔をされました。

私だって、大きな声を出すことはあります。

最近は、大きな声を出すと、異様に疲れを感じようになりました。

できるだけ、静かにしている。

感情の起伏もできるだけ押さえる。

笑うときは、大きな声で笑うけど、あとは静かです。

クラスの子供たちの特性なのか、とにかく静かなクラスです。

私がそうしたわけではありません。

担任したときから、静かです。

これまでの担任のおかげです。

有り難いことです。

でも、私は、この静かなクラスを全面的に肯定している訳ではありません。

もっとしゃべっていい。うるさくなってもいいと思っています。

私は『学び合い』をやりたいのですから、もっともっと子供たちがしゃべって欲しい。

静かにノートをとっているだけではだめです。

 

 

私は、ノートをとることを強要しません。

「ノートなんか、とらなくてもいい。でも、テストでは100点を取るのですよ」

と言っています。訳の分からないことを書き写すことより、大切な事があります。

「それ、どういう意味?」

と質問する力です。質問が許されない状況で、分からないことを長い時間写すだけなんて、苦行です。

今までにいろいろなタイプの子供たちに出会いました。

全くノートをとらず、にこにことして私の顔を見続ける子供もいました。

その子には、その方法が一番よかったのでしょう。

校内の申し合わせで、全員が同じようにノートをとる、なんてことはしない方がいいと思います。

宿題のノートを見ていると、隅にたくさんの計算がしてあったり、漢字ドリルの余白にその漢字をいろいろと書いてあったり、と勉強している様子が分かるノートに出会うことがあります。私は、そういうノートを見ると、嬉しくなります。

きれいに整ったノートより、その格闘のあとが残っているノートが好きです。