いくらでもできます

私は『学び合い』が大好きな人間です。

骨の髄まで『学び合い』でできています。

『学び合い』に出会うまで、一時期「法則化」に凝っていましたので、「法則化」の技術を使うこともできます。

長く生きてきたので、ある程度の知識と経験もあります。

授業の準備など全くしなくても、ある程度の授業をすることができますし、

「2時間続きの研究授業を来週予定する」

と言われたとしても、できるだろうと思っています。

「法則化」への滅茶苦茶な悪口もありますし、「法則化」から『学び合い』へのご批判もありました。

「『学び合い』は亡国の教育だ」

と書かれたときは、笑いました。

時々、授業をしたくなって、子供たちの前でしゃべることもあります。

逆に、1日黒板に何も書かない日もあります。本当に何も書かないのですから、不思議です。

高学年を担任すると、「法則化」の優れた教材である「五色百人一首」をやりたくなります。

一部の子供たちを夢中にします。教室に「百人一首が強い」という価値観を持ち込むことができます。

「足が速い」というのと同じ程度の価値観です。いろいろな価値観が教室にあった方がいいので、「あいつ百人一首強いよ」という価値観が入ってくることは歓迎すべき事です。

百人一首ついでに、習字の時間に「自分の好きな百人一首を書く」ということをやってみました。

お手本は、タブレットの中にあります。楷書で書かれているお手本もあれば、草書体で書かれていて、上手く読めないものもあります。

子供たちは、まず自分の好きな一首を選びます。

次にレイアウトを考えて、書き始めます。

なかなかいいものです。

こういう作品ができると、教室に掲示したくなります。

私は「ちはやふる」が一番多いのではないかと予想しましたが、この予想は見事に外れました。

私は「瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の 割れても末に 逢わんとぞ思う」がすきです。子供たち数人がこの一首選んでいました。

そんな習字の時間も楽しい時間です。