放っておいて欲しい
夕べは、Zoomでおしゃべり会。
飲み会も1年半以上やっていないので、定期的なウェブ飲み会とも言えます。
30年来の友人と二人だけだったので、時間無制限でぐだぐだとおしゃべりしました。
楽しかった。
友人は、すでに定年を過ぎて、再雇用の立場。先輩なので、定年後の話もいろいろと聞いています。
その二人での会話をしながら、考えたことです。
『学び合い』を蛇蝎の如く嫌っている人たちがいます。
「酒井式描画法」を蛇蝎の如く嫌っている人たちがいます。
嫌っていてもいいのです。反対していてもいいのです。
でも、面と向かって言われたことはありません。教師の世界は狭いので、回り回って聞こえてきます。
私は、そういう声を聞く度に、
「放っておいて欲しい」
と思います。
好き嫌いだから仕方ありません。自分と違う考えや立場の人が居ることも仕方ありません。私は、強く『学び合い』や「酒井式」を人に勧めたこともありません。
私の古くからの友人達ですら、『学び合い』に移行することができないのですから、無理なことは重々承知しています。
批判にもならない、悪口レベルのことを公的な場で発言するような人たちと仲良くする気もありませんし、そういう人たちと話し合いをしたところで、明るい展望が開けるような結論が導かれるとも思えません。
どうでも良いので、放っておいてもらいたい。
「酒井式で描かせた絵には賞を与えない」
というのでしたら、別に結構です。どうぞご自由にお進めくださいというだけです。
私は、賞を取りたくて、授業をしているわけではありません。
正直にいえば、こういう面倒くさいことに関わりたくありません。
放っておいてほしいのです。
幸いにして、私のやっていること、私の考えていることに興味をもってくれたり、時には好意的なコメントをしてくれたり、時には批判的なご意見を頂いたりすることができます。そういう方とは、誠実にお付き合いをしたいと思います。
それにしても、です。
やはり、今までのような一斉指導の中での発想は、もう先がないと思います。
あとは、何が決定打になって、変革へ雪崩打つかです。
3年ほど前まで、算数の授業と言えば、「自力解決」でした。
それが、全く聞かなくなりました。あれほど「自力解決」と言っていた人たちはどうしたのでしょうか。
「時代が変わった」
とでも言うのでしょう。
私は、「自力解決」を主張していた方々には、今更ながらに「自力解決」を声高に主張してもらいたいと思っています。あれほど、強硬に主張を繰り返していたのですから、こんなことぐらいで自分たちの主張を引っ込めて欲しくありません。
それとも、あれも時代に乗って、主張していただけなのでしょうか。
もっと自分の言葉で語って頂きたいと願っています。
私は『学び合い』が徹底的に排除される事態になったとしても、やはり『学び合い』を捨てることはできないと思います。『学び合い』の先に「個別最適化」の授業であります。
大学院を修了して15年が立ちますが、あの頃から実践していた授業がやっと評価されるようになってきました。
そんなものです。
「自力解決」の方々からは、また蛇蝎の如く嫌われてきました。
あの発言は、なんだったのでしょうか。
今になって、聞いてみたいことがたくさんあります。