面白いという魅力
私は面白いことが好きです。
『学び合い』に惹かれたのも、第一印象で面白いと感じたからです。
「少人数指導」「習熟度別学習」「教科担任制」という研修の指示にはほとんど面白いと思わなかったのに、『学び合い』は面白いと感じた。
不思議です。
なぜ、自分は面白いと感じたのか。
分かりません。
まだ『学び合い』という表記がなかったころの話です。
夏のセミナーに集まるのは、ほぼ研究室関連の方だけという頃でした。
『学び合い』がまだ多くの方からすると、海のものとも山のものともつかぬ存在だった時代です。
酒井式描画法の酒井臣吾先生から
「40代は教師として最高にいいよ」
と言われていた40代の真っ盛りの頃に、今までやっていたことを全否定するかのような世界に飛び込めたのはなぜか、不思議でなりません。
でも、あの時点で『学び合い』に進めたからこそ、それ以降教師として幸せに過ごせたと感じています。
しばらくは、希少価値だったので、それなりに苦しい時期もありましたが、今は「学び合い」は認知され、大分過ごしやすくなりました。
これまで散々研究授業なるものをやり、散々な結果になったこともあります。
酔っ払って同僚と夜中に歩いていたら、同じように酔っ払って歩いてきた他校の先生に名前を呼ばれて絡まれそうになったこともあります。
そのときは、周りが仲介して事なきを得ました。
研究会の提案者もやりました。
2年間の長期研修が終わった後の提案では、一緒に行った仲間が大笑いするほど、開場の空気が変わってしまいました。『学び合い』が認知されていないころの楽しい思い出です。
でも、そんな頃でも
「西川先生の学び合いは」
と会場から発言された方がいらっしゃいました。アンテナの高い人はどこにでもいるものです。
そういった研究授業ではなく、普段の授業レベルでの話です。
私の授業はそうとう面白いらしい。
なにせ、『学び合い』ができます。
法則化から学んだ技術は未だに(部分的にですが)有効です。
経験があります。
子供たちが見えます。
私が授業するとき、授業の目標が違います。
国語と算数以外は、
「とにかく嫌いにしない」
ことが第一です。
「社会って面白いなあ」
「理科って楽しいなあ」
このように感じてくれたら、それでいいと思っています。
あとは、基本的なことを分かってくれたらそれで十分です。
ときどき、研究授業を参観します。
ほとんど面白くありません。
「これで、社会科が好きになるのかなあ」
と思います。
私はそんな研究授業を見ていて、退屈します。
研究会も同じように退屈です。
だから出来れば、行きたくありません。
ときどき、指導案から外れるような展開になることがあります。
そんなときに、私の意識は覚醒して、注意深く子供たち姿を見ています。
最近思うこと。
授業はコミュニケーションだと思います。
子供たちとどのようなコミュニケーション状態を作るのか。
私は、そうとう緩いコミュニケーション状態になっています。
緩いというのは、緊張状態がない感じです。
子供たちが割合自由に発言する感じです。
かなり自由に発言しているように感じている方もいると思います。
私もかなり自由にいろいろにことをしゃべります。
学習支援の先生を巻き込んで話を展開することもあります。
結局、自由で楽しい雰囲気があるときに、子供たちは自由に楽しく何かを学ぶのだと感じています。
子供たちを楽しい雰囲気にして、あとは『学び合い』で子供たちに任せる。
授業を自在に楽しんでいるのは、私です。