良い方向
勤務校の地域の話です。
この地域では、学び合いを進めています。
中心は「学びの共同体」です。
でも、年度当初校長からの話が素晴らしかった。
「大切なことは、一人も残さない。ひとりぼっちにはしないです。」
私は、先日、
「学力向上は結果だ」
と書きました。学び合いに取り組み、ひとりぼっちを作らないという方針を決めたことで、結果として「学力が向上する」という大きな枠組を作ったのです。
この方針を理解できる教師がどれくらいいるでしょうか。
校長は
「難しい話だけど」
と言っていましたが、話が難しいのではなく、理解が難しいと感じています。
簡単な話だけど、今までやってきたことを変えるでは終わらないと思います。
「学びの共同体」のいう「ジャンプ」が必要です。
私は、とうの昔に「飛んで」しまっています。
なぜ、自分が飛べたのか、今でも分かりません。
この方向で現実的に動くことが出来るのか、これからが楽しくなっています。
西川先生が書いていますが、私も削れるところは徹底的に削っています。
日付だけ変えて、書類を処理することも、しばしばやっています。
「自己評価シート」なるものがありますが、書くときに
「どうやったら項目を減らせるか」
を考えて書いています。だから私の自己評価シートはスカスカです。
どうせ提出した後、管理職との面談があり、訂正する箇所があれば指摘されます。
そこで、訂正すれば良いのです。
以前、自己評価シートについて、
「昨年のものと比較して、同様の内容なら書き換えをさせる」
と言った管理職がいましたが、私には意図が分かりませんでした。
教師のやることは、毎年あまり変わりません。
毎年やりたいこともあります。
効果のあったことなら、同じ事を書くはずです。
内容を変えれば、レベルが上がるという発想が分かりませんでした。
これも管理職次第です。
私は教師の世界はブラックではないと言いたい。
担任ほど、実は自由に過ごせる職業はないとすら思っています。
毎日の授業の大半が自由です。
教えなければならないことはありますが、どのような授業になるかなんて、やってみなければ分かりません。子供の発言一つで、または子供の動き一つで、授業は思わぬ方向に進みます。その方が面白いこともあります。
子供たちの動きや言葉をどの程度拾うのか、または捨てるのか、ここは教師としての腕の見せ所です。授業は相互方向のコミュニケーションの場です。教師の一方的な行為によって成り立っている訳ではありません。
『学び合い』によって、私の場合、教師からの働きかけは激減しました。なくなったわけではありませんが、働きかけは少なくなりました。
その分、子供同士の関わり合いが増えました。その方がずっと効果が高いことも分かっています。
定年まで勤めて、一度として同じ授業はありませんでした。
私は、教師として
「子供たちが楽しみにしている授業」
という理想を捨てたことはありません。
「チャイムが鳴る前に座る」
という躾は大切であると思いますが、それよりも
「みんな早く座ろうぜ」
という意識が生まれる授業を目指したいと今でも思っています。