ギガ構想に向けた校内研修に参加しました。
勤務地の教委が主催し、講師は教委からのオンラインでのご講演。
我々は、勤務校で自分のタブレットを見ながらの研修でした。
講師は、グーグルの関連会社の方。当然、クロームブックの使い方が中心で
「こんなこともできます」
という話が続きました。
「今年は教育改革元年になると言われています」
と始まりました。私はどんな話になるのだろうと期待しつつ、聞いていました。
が、途中で
「腰砕けの話だなあ」
とがっかりしてしまいました。
その「教育改革元年」は何を指しているのでしょうか。
私も、クロームブックを使い始めて、
「これは大変な時代がやってくる」
と思っています。でも、私が考えている枠組みとは全く違いました。
私は、クロームブックが行き渡ることで、教室という枠組みや一斉指導という枠組みや教師が情報を操作するという授業の枠組みが変化したり、もしかしたらなくなってしまうという流れを感じています。自分の意思で自分の好きな情報を自分のペースで取れるとしたら、もう教室にいる意味もないし、教師がしゃべる意味もない。教師の話を聞く必要もない。
でも、今回の話は、あくまでも教室で教師が授業を進めるという枠組みで話をしていました。そういう依頼なのかもしれません。教委主催の研修ですから、この枠組みを疑うような発想はないでしょう。
もしたしたら、教委に忖度してこの内容を語ったのかもしれません。真相は分かりません。
私は、全員にクロームブックを使うような指示を出しません。使いたければ使う。教科書が良ければ教科書を読む。かなり自由です。
みんなが同じ事をする必要もない。だけど、必要に応じて隣の人と、話しやすい人と話す自由がある。私の教室の現在の姿です。
だから結構勝手なことをやっています。私が知らないようなことをやっている子供もいるでしょう。それが授業と関係ないことであるかもしれない。でも、どこかで繋がっているかもしれない。それはわかりません。
私は、そんな教室の様子を眺めていて、
「教育のあり方が激変するかもしれない」
と感じているのです。教室という枠組みですらなくなるかもしれない。
相も変わらず、今と同じような枠組みが続くという前提で、新しい機器の研修がありました。これまで、何回も繰り返された風景です。
でも、今回は、今までの枠組みの変更を余儀なくする方向に進んでいくと私は思っています。