こういう非常時代の時ほど、そもそもの原則に立ち戻りたいものです。
『学び合い』は考え方である。
西川研に2年間在籍していて、この言葉の意味がわかるまでずいぶんと時間がかかりました。
「『学び合い』だから、話し合いがありますよね。」
「話し合いをどう指導しますか」
「班の作り方を教えてください」
など、
「話し合いをするのが、『学び合い』でしょ」
とずいぶん言われました。
「考え方」ですから、話し合いという形式ではありません。
教師がどういう考え方で授業を組み立てているのかが大切になってきます。
子供たちが自由に出歩き、話し合い、課題をみんなで解決していく授業をやりたいですが、今の状況ではできません。だからといって、『学び合い』の授業ができないかと言えば、そんなことはありません。
分散登校で、半分しか来ていないという状況だから、できることがあるはずです。
A班は授業の進み具合を黒板に書いて帰ります。
B班は、その黒板を見て学習します。最後に、B班の進度を黒板に書いて帰ります。
別に黒板に書かなくても、いいのです。
教師が、A班のAさんのノートをコピーして掲示する。
次に、B班のBさんのノートをコピーして掲示する。
次は、Cさんのノートを掲示する。
そんな繰り返しでも、教師が時間に追われて、せこせこと進める授業よりはるかにましです。
みんなができるように、みんなが少しずつできることを続けていく。教師だけが、考え続けるのではなく、みんなで考えて進めていく。
『学び合い』の考え方なら、当然の発想だと思っています。
時数の問題もそうです。
「ここは、計画では6時間ですが、6時間をとることができません。
テストを入れて、5時間でお願いします。」
と言えば、子供たちは、どうゃって5時間で仕上げるのか、考えます。
教師よりずっとましです。
先生方の話を聞いていると
「どうして、もっと子供たちの力を借りないのだろう」
「どうして、子供たちを信頼しないのだろう」
と感じます。そうやって、何でも自分でやろうとして、結局自分ですべて背負ってしまって回らなくなる。
私は、子供たちと相談して考えることがとても多くなりました。
学校再開の目処が立ってきて、いよいよ楽しくなりそうです。