『学び合い』に出会って、そろそろ20年になります。
大学院が終わって現場に戻ったときには、課題解決型の学習が全盛でした。
今もって、課題解決型の授業に取り組んでいる学校も地域もあります。
それを私は批判するつもりは全くありません。
私が勤務する地域は、「学びの共同体」による学び合いを推進しています。一斉授業に取り組むよりは、ずっといいと私は思っています。
学び合いを進めていくと、先生方からはいつかどこかで聞いたような批判を耳にするようになります。
その典型が
「友達のノートを写しているだけの子供がいる」
というものです。
「分かっていないのに、ただ写しているだけでいいのか」
とご意見です。
どこかで聞いたことのあるご意見だなあと思っていたのですが、あまりにも「真っ当な意見」のような扱いをしているので、思わず意見を申し上げてしまいました。
「それは、今までの授業の成果ですよ。教師が黒板に書いた事を写すように言ってきたでしょ。だから子供は分からなくてもとりあえず友達のノートを写しているのです。」
「でも、写している段階で、どうして、と聞くことが出来るのは、教師よりもともだちですよね。だから、私は写していてもいいと思っているのです」
そのほかにも、学び合いに対する疑問やご意見がありました。私からすると、それらはすべて『学び合い』の中で議論されて解決されたものです。
学び合いを進めていくと、通る道はどれも同じようです。
最後は、どれほど成果を上げたとしても、教師がどこまで腹をくくれるかにかかっていると思います。