若き教師たちへ

私は、若き教師を語ることが好きではありません。

「最近の若者達は」

と語る姿が好きではないのです。

 

若き教師を語るとき、自分がもうベテランになっていたころのことを思い出します。

忘れられない光景があるのです。

私が敬愛してやまないA先生がいます。

このA先生と私を含め4人で中学年を組んでいました。

運動会の練習で、A先生が中学年の団体種目を担当していました。練習ですから、準備をどうするのか、どういう手順で練習するのかなど、事前に軽く打ち合わせをするのかと思っていました。

当日になっても、打ち合わせはありませんでした。

練習開始前になって、A先生は自分から準備に動いていました。

私は、A先生と長い付き合いでしたので、どういうふうに動くのか何となく分かっていました。準備すべきものも分かっていたので、打ち合わせなく、A先生と一緒に準備できました。

さて、あとの2人が出てきたときには、準備は終わっていました。

 

今、自分がA先生の立場になって、よく分かるのです。

事前に打ち合わせが必要なのではなく、わかる人にはわかる、ということなのです。

自分で考えて行動しろ、と。

冷たいようですが、私はこれができるように若い頃から先輩達に教えられたように思えるのです。

「こういうときには、まずどうするのか、考えろ」

と、機会を与えられてきたと感じています。

だから、私は若い教師というと、自分が若い頃を思い出してしまいます。

偉そうなことを言う資格など、ありません。

 

 

私も、若い頃の自分を思い出して、赤面します。

よくもまあ、あれほど恥知らずなことをやったものだと、穴があったら入りたい気持ちになります。

そんな私を、多くの先輩たち、同僚、保護者、管理職が守ってくれたと思っています。

感謝の気持ちでいっぱいになります。何とか、定年まで働くことが出来たこと、運が良かったと思っています。

私がA先生をはじめ、多くの先生方、保護者の方々からいただいたもの、ことを若い先生方にパスするだけです。

そのパスは、本当に難しい。もちろん、受け取らないという方法もあるでしょう。

ただ、パスするように投げておきたいと思っています。