西川先生が『学び合い』の究極の目標について語っています。
子供たちが幸せに生きる。
私も、その通りだと思っています。私は、のんびりと生きています。
学校は、春の全国学習状況調査、県の学力テストの結果が戻ってきて、
「学力向上のためには何をすべきか」
という話し合いをするようです。
こういう話し合いの度に、私は
「学力向上の目的は何?」
と思ってしまいます。
どうして学力向上しなければならないのか。
学力向上の目的は何か、
どうしてもわかりません。
子供たちが学校に来ています。
何か一つでも学んで帰って欲しいと思います。
私は、学力向上が不要だと思っている訳ではありません。
学校に来ている以上、学力向上しないということはあり得ません。学校に来ていて、何も学ばないということはあり得ません。
「今日の授業は何も得ることがなかった」
という振り返りをしたとしても、「何も得ることがなかった」ということは学んでいるからです。
「あの教師は無能だ」
ということを学んだのかもしれません。
その状況で、さらに「学力向上」とはどういう事なのか、全くわかりません。
よく言われますが、そもそも「学力」とは何か、この議論も残っています。
一部には、
「学力テストが、学力だ」
という言い方もあるようですが、そんな馬鹿なことを本気で信じている人がいるとは思えません。
だから、学力テストの結果は上がらないのです。本気で信じているなら、上がるはずです。
学力テスト前の、テスト準備をしていない学校はありません。それもかなりの時間を割いている地区を知っています。
その地区では、学力テストの結果が教師の評価と直結しているそうです。
私が、その地区に行ったら、すぐに追放でしょう。
そんな状況で、自分に何が出来るのか、考えています。
授業改善の手は尽くしています。
でも、まだまだやれることはたくさんあります。