松山城で考えたこと

四国、松山に行ってきました。

本格的四国に行ったのは、初めてです。

松山城今治城大洲城湯築城と回ってきました。

 

松山城は、とても大きな城です。

規模的には、加賀百万石の金沢城に匹敵すると思います。

しかし、加賀百万石に比べて、松山藩はぜいぜい20万石です。

これだけの城をどうやって維持してきたのか、とても興味がわきます。

城だけ見ると、規模は様々です。城に展示してある古地図をから当時の大きさを感じます。天守台から見ると、

「あそこまで城だった」

と驚きます。

それにしても、現在まで残されている堀までの大きさから、松山城の大きさがわかりまます。

 

こういうことは、そこに行ってみないとわかりません。

一条谷城に行った後、金沢城に行くと、城の規模としての大きさに驚きます。

松山藩は最後は「賊軍」として扱われて、そこから「坂の上の雲」で描かれている正岡子規や秋山兄弟が生まれてきます。

司馬遼太郎が、なぜ彼らを書くことになったのか、「坂の上の雲」を読みながらじっくりと考えてみたいと思っています。

ネットの時代だからこそ

1年間で一番嫌いな研修がありました。

コロナ前までは、出張でしたが、コロナ以降はウェブでの開催になっています。

これは良い方向です。

すべての学校から必ず参加するとのことで、私が教員に名って以来、ずっと続けられていることです。

教育課程説明会と言います。

 

私は社会科を担当しました。提案者の内容は、ネットを活用した社会科授業でどんな力をつけていくのかというものでした。

今の社会科の授業で、ネットの情報を活用しないということはあり得ません。ネットには、子供たちが魅力的に感じる情報があふれています。それを自由に使わせれば、子供たちはそれこそ勝手にいろいろなことを学びます。

私は、それでいいと思います。弥生時代なら、弥生時代の土器に関心を持つ子供もいれば、食べ物に興味を持つ子供がいる。当たり前に自分が調べたいことを調べられる時代になったのです。

だから、もう一斉授業のような板書計画も要らないし、ノートに共通のものを書くという時間もいらない。自分の調べたことで書きたいことを書く。それでいいと思います。

それで、ちゃんと学んでいます。

それなのに、授業の形態は依然として、一斉授業の形を変えられない。私には、分からない理屈です。もう全員が一台ずつタブレットを手にしているのです。好きに学べば良いのではないか、と私は思ってしまうのです。

もう一つ。多くの情報を自由に手に入れられる条件になったからこそ、本物が力を持つと思っています。実際に土器を手にしてみる、発掘現場に行ってみる、消防署に行ってみる、など、実際のものと現場に行ってみることに価値があると思っています。

写真を見比べる前に、実際にその場に行ってみると、混んでいるとか、店があるとか、匂いがするとか、いろいろな体験をします。バーチャルは所詮バーチャルです。

 

ネット時代の授業なのに、授業形態は依然として旧態依然としているというねじれがあり、それを自覚することなく、進もうとしていることに指導者から何もコメントがなかったということは、指導者も同様に自覚がないということなのでしょうか。

 

こういう提案を聞くと、

「もっと吹っ切れれば楽しいよ」

と言いたくなります。

 

 

県の資料を読んでいたら、社会科の授業について

「単元を見通した授業を」

とありました。

もう15年以上前からやっています。

でも、この授業は、全然広がりません。

だから、私の特権です。

広がらないことに、全く不満はありません。

授業はコミュニケーションである

最近気づいたことですが、

「授業はコミュニケーションである」

という当たり前のことです。

 

 

数年前から、研究授業がつまらなくて仕方ありませんでした。

特に、指導案通りに進む授業が退屈でした。

授業後の研究会で司会をすることになっている授業ですら、退屈で眠くなってしまいました。

指導案通りに進む、評価の高い授業が退屈だなんて、私はどうかしていると思っていました。教師としての賞味期限が来ているのか、退職すべきであるのかとも思っていました。

当たり前ですが、授業は生ものです。生きている子供たちと教師がしゃべるのですから、話がどこに行くのか正直分からないものです。

まして、担任であれば、「どこまでの脱線なら大丈夫か」なんて、子供たちも考えています。この担任脱線してしゃべり始めるとどこまで行くか分からないと、子供たちが思い始めると、いろいろな手を使って、仕掛けてきます。

子供たちの仕掛けに、どこまで乗るのか、乗らないのか、さらにどうやって切り返すのか、など、私は楽しくなってしまうのです。

「あ、だから指導案通りの授業はつまらないのか」

と気づいたのです。どこに行くのか、何に行くのか、分からない展開の方がずっと面白い。どうやって、この授業とこの話を関連付けるのか、これも面白い。

「先生、質問があります。どうして地球には水があるのですか」

と唐突な質問が飛んできます。

理科の時間に、この質問に少し応えます。

すると、また次の質問がやってきます。

そんなことをしていると、子供たちが次々と質問をしてきます。

それをどのように生かすのか、これも面白い。

子供たちと、そういうやりとりをしながら、授業を進められるので、私は自分の授業には全く退屈していません。

研究授業でも、思わぬ子供の発言からあらぬ方へ話が進むと、私はわくわくするのです。そのときに、その教師の本当の力、授業のコミュニケーションが試されていると思うのです。

 

「学ぶ」ということ

3ヶ月も更新をしていませんでした。

自分でも驚きました。

 

内田樹氏のブログを読んで久しぶりに書く気になりました。

いま私たちが学ぶべきこと - 内田樹の研究室 (tatsuru.com)

 

そこには、

【人間が知的に成長するというのは「別人になること」だ】

と書かれています。知識の不足を補充する事ではなく、別の自分に変わっていくのが「学び」だと指摘しています。

そもそもの「学び」が何であるか、根源的な問いです。

私は、こういうそもそもの問いが好きです。

とりあえず、最初に戻って、そもそもそれはどういうことなのかから考え直しましょうと考えます。面倒くさいといえば、面倒くさいです。

 

私は、振り返れば、ほんの一時期、「教育技術の法則化運動」にどっぷりとはまっていたことがあります。今もその時に学んだ技術を使っているので、それが無駄だったとは思いません。

「子供たちを指導しないで、何の教師か」

「できるようにするのが教師の仕事」

と思っていました。

それが『学び合い』と出会ってから、(当時は、まだ『学び合い』という表記すらありませんでした)

「教師は最善の教え手ではない」

「子供たちに任せた方がいい」

と言うようになりました。私の近くにいた友人は

「狂ったと思った」

と言っていました。それで、袂を分かった友人もいます。

自分でも、なぜ「法則化運動から離れたのか」がよく分かりません。

でも、自分が全く変わってしまった。

振り返ると、その時期に、自分の中で一生に一度だけというくらいの強烈な学びが起こっていたのだと思います。

内田樹氏の指摘で、自分を振り返りました。

 

 

1学期がもうすぐ終わります。

教師生活の最後の研究授業も終わりました。

62歳になり、体のあちこちに不具合も見つかりはじめました。

教師としての生活をいつ終わりにしようかとも思い始めました。

いろいろと考えることがありました。

最後の最後まで、学級担任として過ごせたことをとても光栄であり、幸運であると思っています。

 

滑り出し

新学期が始まって、2週間が経ちました。

まあまあ、順調な滑り出しです。

本格的な『学び合い』を始めたわけではありませんが、のんびりと子供たちの様子を見ています。

 

 

校内ではいろいろとあり、いろいろと考えるところがあります。

一番は

「学び合いは“考え方だ”というのは、一番優れた卓見だ」

と再認識したところにあります。

勤務地は「学びの共同体」による学び合いを進めています。私は、それでいいと思っています。課題解決型の授業から、学び合いに移行して5年以上経つと思いますが、先生方の発想が展開しないことに驚きます。

教師としての考え方を変えられないのです。

「どう指導するか」

という発想を変えられません。ここが一番の問題だと思います。

教師の姿勢は、何気ない言葉遣いや態度に表れます。どのように進めようとしているのか、言葉遣いを聞いていれば分かります。

授業の形でもなく、指導の形態でもなく、教師の考え方である。

これが一番の難しいし、わかりにくい。でも、一番大切なところであると今更ながらに感じています。

 

 

昨日は、授業参観でした。

私は、

「後ろで見ているだけの授業はしない」

と子供たちに話をして、授業中参観者している保護者と子供たちが自由に話してもいい授業をしました。私は最初の数分と最後の3分くらいしゃべっただけでした。

何が起きても、子供たちが動かない授業はつまらない。

子供たちが自由に楽しく動いていれば、それでいいのです。

時には、大真面目な一斉授業もしますが、もっと大切なことがあるような気がします。

私の場合、この境地に達したのは、定年間近でした。もっと早く出来るようになれば、もっと楽に過ごせたのに、と思っています。

もう失うものは何もないのは、実に楽しいですね。

 

始まりました

再任用2年目。

校内の事情で6年生の担任になりました。

仕事なので、淡々とこなすだけです。

6年生の担任について

「6年生は学校の顔ですから」

とか言う方がいらっしゃいますが、子供たちにとってはいい迷惑です。

私は、

「6年の担任と言っても、小学校生活の6分1ですから」

と思っています。

勝手に6年の担任のハードルをあげておいて、自分たちで困っている訳です。

私にはよく分からない。

 

一週間が過ぎて、いよいよクラス作りが始まったという感じです。

とても素直で穏やかな集団です。

さて、どのように展開していくのでしょうか。

「仕事ですから」

俳優の柄本明は、ある番組で、志村けんとのへんな芸者の役について聞かれたとき

「仕事ですから」

と応えていました。インタビューアーはどこかで「江本さんほどの俳優がどうしてそんな役までやるんですか」と思い込んでいたのでしょう。その質問に涼しく

「仕事ですから」

と返していました。

私は、この「仕事ですから」という構え方が好きです。特に熱い情熱を持つわけでもなく、仕事として責任を果たしている、自分の好みでやっている訳ではない、という感じが好きです。

なんか涼しい感じがします。

思い返してみると、私はあらゆる仕事を「仕事ですから」と対応してきたように思います。自分で「仕事ではない」と判断したものには参加しない。

かつて、ある主任会の飲み会に参加したことがあります。私は、その主任ではありませんでしたが、校長から「参加してみろ」と言われて、しぶしぶ参加したのです。

嫌な予感がしました。予想通りでした。参加した主任方は、同席した指導主事にどうやってお酒をつぐかを競うような態度でした。

あきれて、自分の料理を食べて、そうっと退席しました。

これは、自分の「仕事」とは思えませんでした。

私は「仕事」の範囲で仕事をします。勤務時間を大幅に超えるような仕事は、自分の仕事ではありません。

その範囲でできることを淡々とこなすだけです。