松山城で考えたこと

四国、松山に行ってきました。

本格的四国に行ったのは、初めてです。

松山城今治城大洲城湯築城と回ってきました。

 

松山城は、とても大きな城です。

規模的には、加賀百万石の金沢城に匹敵すると思います。

しかし、加賀百万石に比べて、松山藩はぜいぜい20万石です。

これだけの城をどうやって維持してきたのか、とても興味がわきます。

城だけ見ると、規模は様々です。城に展示してある古地図をから当時の大きさを感じます。天守台から見ると、

「あそこまで城だった」

と驚きます。

それにしても、現在まで残されている堀までの大きさから、松山城の大きさがわかりまます。

 

こういうことは、そこに行ってみないとわかりません。

一条谷城に行った後、金沢城に行くと、城の規模としての大きさに驚きます。

松山藩は最後は「賊軍」として扱われて、そこから「坂の上の雲」で描かれている正岡子規や秋山兄弟が生まれてきます。

司馬遼太郎が、なぜ彼らを書くことになったのか、「坂の上の雲」を読みながらじっくりと考えてみたいと思っています。