働き方改革

「仕事が多くてできません」

と言ったとします。

その仕事は、誰かがやらなければならない、消すことのできない仕事だとすると、誰かがやらなければならない仕事です。

例えば、私が

「できません」

というと、教頭先生がやるということになります。

すると、私はあまり強く

「できません」

が言えなくなります。

働き方改革が進まないわけは、その仕事をなくすことができないからです。

 

 

一方で、なくすことができるのも、現場の人間だけです。

「仕事が多くて大変。誰か減らしてくれないかなあ」

と言ったところで、誰かが仕事を減らしてくれるはずはありません。

自分で減らすしかない。

「これをやめる」

と決意して実行すれば減らすことはできます。

私は徹底的に『学び合い』の発想なので、基本的に「仕事を切る」ということに躊躇はありません。いかに効果が期待されていることでも、大幅に勤務時間を超えるような仕事に対しては「切る」ということを躊躇なくやります。

膨れ上がった仕事をどのように減らすのか、私のような定年直前の立場の教員がやらなければならないとも思っています。

私が教員になった頃には、まだパソコンはありませんでした。

英語も、まさか教科になっているとは思いませんでした。

春の遠足はなくなりましたが、ほかになくなったものは多くはありません。

増えたものばかりを思いつきます。

増えたものばかりなってから、教員になった人たちには、仕事を減らすことはできないでしょう。あるのが、当たり前のものを減らすことはとても難しいからです。

 

子供たちが毎日学校に来るようになって、子供たちが帰った後の毎日の消毒と清掃がだんだん負担になっています。多くの学校で職員が総出で消毒をしています。

この負担を考えると、軽い目眩を感じます。

いつまで続くかわからないこの消毒という作業が、教師集団に及ぼした痛手がいずれ大きく跳ね返ってくるかもしれません。