誰が見るか?

コロナ肺炎を巡り、職場でもオンライン授業が話題になっています。

「最後はオンライン授業ですかね」

という問いに

「俺の下手くそな授業なんて誰も見ないよ」

と応えました。

ネット上には、“名人”と言われる方々の授業があふれています。

手間をかけて優秀な人材を集めて作られたものも沢山あります。

これからもっと増えるでしょう。

「一応担任だしな」

という態度で一度は見るかもしれませんが、検索をかければいくらでももっと自分に合う授業を見ることができるでしょう。

ただ、上手い下手の規準ではなく、自分に合うかどうかの規準でも選択されます。

「じゃあ、私たちの仕事は何ですか」

という問いには、今までも『学び合い』の中で考えられてきたはずです。

現実化すると恐ろしいと感じる方もいらっしゃるのでしょうか。

知を学校が独占していた時代は終わっています。

どこでもどのようにでも学べる時代がやってきています。

 

 

話題を変えます。

ここまで書いてきて、

「どこでもどのようにでも学べる時代に、必要な能力は何か」

という問いが自分の中で持ち上がってきています。

それは、ネット授業で解決できるものなのか、それとも、教室で人と人が対面で学び合うことで得られるものなのか、それとも両方か、両方だめなのか、私にはわかりません。

その力があれば、ネット授業でもいいのかもしれません。

まだわからないことだらけです。

授業がいつ始まるのかまだ確定しないこの状況で、私は久しぶりに読書をしています。

宇佐美 寛先生の一連の著作を本棚から取り出して、今の自分の問題意識と照らし合わせて読んでいます。

久しぶりに宇佐美先生の著作を拝読してみると、考えるべきことが沢山あることに気づきます。

もう一度、書きます。

「どこでもどのようにでも学べる時代に、必要な能力は何か」

しばらく、考えてみたいと思っています。