「子供が作るお弁当の日」
という本があります。
1年に一度子供が自分のお弁当を自分で作って持ってくるという話です。
この運動は結構広がっているようで、この取り組みは映画にもなっています。
そて、ネットサーフィンをしていると、
「家事をしない夫」
「育児をしない夫」
などの記事がたくさん出てきます。
もちろん、逆の例もありますが、圧倒的に夫への不満が吐き出されているような気がします。
土屋 礼央著
「ボクは食器洗いをやっていただけで、家事をやっていなかった。」
KADOKAWA 2021/3/3
のご指摘の通り、どうも夫がだめであるという記事が多いように思えます。
私の知り合いにも
「うちは、野球未亡人ですから」
と笑いながら話してくれる方がいます。
どうして、夫になったのに、家事も育児もだめなのか、考えてします。
西川先生のご指摘の通り、これから共働きが当たり前になり、女性の社会進出も進むでしょう。子育てしながらの管理職も当たり前になるでしょう。
そんな時代がもうすぐ来そうなのに、相変わらずの夫像にしがみついて、家事育児が出来ない夫は、いずれ捨てられます。今まではいずれだったけれど、これからはすぐに捨てられるかもしれません。
(ここまで書いてきて、西川先生の言うとおり、これから共働きが当たり前になるとして、そんな時代に男子をどのように育てるべくなのかを考える教育があまりにも少ないように感じました。新川研究室の成果として、男子の教育についての成果がある方が良いように思えてきました。この問題は、またいずれ)
女性に対して、男性の生き方についての論考が圧倒的に少ないように思えるのです。
内田樹氏の指摘通り、「男性の生き方としてのモデル、家父長制を壊したのはいいが、その後の男性の生き方についての提案がなかった」とすれば、新しい時代の男性の生きた方についての提案があってしかるべきだと思うのです。
「家事を分担する」という言い方は、いかにも男性に寄った表現です。無限にある家事に分担など無意味です。出来る人ができることをして行くしかありません。
「俺、風呂洗ったから、テレビみてていい?」
という言い方ほど、ひどい言い方はありません。
「風呂洗ったら、次は何か考えろ」
と無限に考えるのが家事です。
私は、男なので、書きながら全く分の悪い言い方になっていると思います。
数ヶ月前、妻から突然
「週末の夕飯は、あなたが作ることにしよう」
と一方的に宣言されて、それ以来、週末の夕飯は私が作ることが多くなりました。
それでも、家事の分担は圧倒的に妻の方が多いと思います。
そんな私が、新しい時代の夫の役割や教育のあり方を論じるのは、場違いな感じがします。
でも、こういうことは気づいた人がやることになっていると思うので、自分にできることを少しずつ進めようと思っています。