特別支援学級の担任の仕事は、とても難しいと感じています。
「子供に居場所となるような学級を作る」
と言われます。確かに、居場所にならないような特別支援学級では困ります。
では、それで十分かと言えば、全く違います。
今年は、交流学級の担任の理解もあり、子供たちもしっかりと受け入れてくれて、いい関係が出来ています。
それでも、居心地が良すぎるのか、交流学級より自分の教室で勉強することを選びます。
私は、この学級で完結するわけではないと思っているので、できるだけ交流学級で過ごして欲しいと思っていますし。一度交流学級に出したら、なるべく手助けしないと決めています。何もしないという訳ではありませんが。
私の教室にいるときと、交流学級にいるときでは、全く違う表情を見せている子供もいます。
本人もそれを自覚しています。
でも、自分が出てしまうことすら、嫌がります。
特別支援学級の担任は、本当に難しいと感じています。
これまで、10回ほど6年生の担任をして、卒業生を送り出してきました。
「最高の6年生を」
と思ってきました。
これも、教師の一方的な思い込みのような気がしています。
子供からすれば、いい迷惑かもしれません。
私自身のことを振り返れば、小学校の卒業式が嬉しくて仕方なかった。
早く中学生になりたかった。
高校の進学も大学の進学も、就職すら、新しい世界へ進むときのわくわく感にあふれていました。そのわくわく感が長く続くこともなく、後は平凡な毎日になっていくのですが。
中学校に早く行きたいと思っている子供が、「小学校で最高の思い出を作ろう」なんて言われても、「別にいいし」という感じなのでしょうか。
「もうすぐ、中学生だね」
と言ったら
「もう小学校は十分です」
と言われたことがあります。
思うは教師ばかりなりということでしょうか。
子供たちもいずれ、自分の力で立つことになります。
そんなとき、やはりどんなつながりがあるのか、が大切です。
それを最初に出来るのが、小学校の担任であると感じてます。
特別支援学級だけでは終わらないからこそ、そんなことを感じています。