最近の私はかなり傲慢です。
昔からそうだったのかしれません。
自覚ができたということでしょうか。
指導案の通りに進む授業なんて、全く面白くありません。
最近、学び合いが注目されるにつれて、特に思うことがあります。
「授業はコミュニケーションの場である」
という当たり前のことです。
子供たち同士、教師と子供のコミュニケーションの場です。
指導案は、予定されているコミュニケーションが書かれています。
予定されているコミュニケーションが行われたとして、何が面白いのでしょうか。
教師の思い通りに子供たちが動く、なんて何も楽しくありません。
授業は、その場で子供たちとどのようなコミュニケーションを作っていくのかと考えていると、全く違う姿になっていきます。
先日の研究授業でも、最後に予想できない発言が出ていました。
教師はそれを取り上げることが出来ませんでした。
残念です。
その場で、教師がどのように瞬発力を発揮するのか、それが面白いと思っています。