引き算は難しい

学校をスリム化することは本当に難しい。

スリム化とは今までやっていたことをなくすことです。

引き算です。

やってみると、これが本当に難しい。

なくしたことがすぐに復活してきます。

「これをやる時間がないので、こういう時間を確保して欲しい」

という言い方がすでにだめであることに気づかないのです。

やる時間がないものは削る。

勤務時間内に処理できないことは削る。

教育的な効果が期待できることでも、負担になっていることは削る。

「これはやらない」

と言える管理職でなければなりません。

軟弱で弱腰の管理職は、「教育委員会が」「指導主事が」と言って、引き算することはできません。

まさに管理職としての管理職の能力が問われる場面です。

膨らむだけ膨らんだ仕事を具体的にどのように減らしていくのか、減らせばいいのかを考えて、実行できる管理職なのかが問われています。

私は、徹底的に『学び合い』の人間なので、徹底的に引き算の授業をします。

指導主事がやってきて、授業を参観する「支援担当訪問」でも、いつものように引き算の授業をします。

授業後の「ご指導」の時間には必ず

「ここをこうやれば、もっと…」

という言い方をされます。それを削った意味が見えないのです。

何でも、つけ加えればいいと思っている。

徹底的な引き算の授業をしていると、多くの授業でやっていることが必要のないことのように思えてきます。

 

パソコンやタブレット、動画などを使って、「最新の授業」のように見えながら、結局は教師主導の旧来型の授業の域を出ていないと感じてしまいます。一見すると、子供たちが自由に動き回っているでも、子供たちの活動の中にいろいろと面白い物が見えてくると嬉しくなります。

「新しいようでも、結局知識伝達型だなあ」

と感じてしまいます。

子供たちがどのように活動し、どのように知識や知恵を獲得したか、獲得しようとしたかと見ていると、実に楽しい授業を見ることができます。

何でもこなしていこうとして、時間が足りなくなり、休みの日まで働いているなんて、やはり正常な形ではないと強く思います。