議論できる人は、正解を留保できます。
とりあえず、正解を留保する。何が正解であるかを問わない。
「私が言うことが正しい」
という言い合いでは議論になりません。
「私はこう考えるけど、どう?」
という態度です。
議論をすることで、新しい見方や考え方が生まれる。
「そういう考えもあるなあ」
「思いつかなかった」
と感じることができれば、本当に楽しい議論です。
楽しい議論をするために、たくさんの本を読みます。
相手もたくさんの本を読んできます。
議論は入り乱れて、次々に新しい展開をして、わくわくして終わります。
次が楽しみになります。
そういう会に、つまらない人は呼びません。居丈高な言い方になりますが、つまらない人には同席して欲しくないのです。
西川研や『学び合い』を通して出会った人には、つまらない人はいません。いつも、自分にないものを見せてもらいました。そういう人でないと、『学び合い』によってこないのかもしれません。
さて、6年生の社会の議論です。
です。
教科書的には「狩猟と定住、米作り」あたりになるのでしょうか。
「支配者が現れた」
なんて答えもあるかもしれません。
ある日、突然縄文時代がおわり、弥生時代が始まるなんてことはありません。
じわじわと移り変わっていったのでしょう。
これも考えてみたいテーマです。
私は、
「時間の長さ」
だと思っています。
もし、弥生時代が縄文時代ほどの長さになっていたら、まだ弥生時代です。
弥生時代もそんなに長く続かず、いくつかの時代を経て、現代につながっています。
では、どうして時間の長さが変わってしまったのか。
かなり、面白いテーマになりそうです。
もうすぐ、歴史の勉強が始まります。
今年は、また違う授業をしようと思っています。
担任ではないので、無茶はできません。